ほんの小さな出来事

最近1年があっという間に過ぎるようになりました。そんなあわただしく過ぎてゆく生活の中で起こったほんの小さな出来事を綴った信さんの日記です

春の絵ハガキから 

明るい春の絵葉書が届きました。
ジムへ行っていたときの若いお友達からです。
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アネモネ フリ~ジア そしてチューリップの前には..............
かわいらしい女の子  親指姫なんですって!!
親指姫  う~ん思い出すな~ アンデルセン童話
ヒキガエルやのねずみのおばあさん、ツバメなどが登場して

小学生のころ、福島の叔母から送られてきた アンデルセン童話集(マッチ売りの少女、雪の女王etc.
講談社だったでしようか?表紙はよく覚えていないけれど、焦げ茶色ぽかったような。

当時は貸本屋さんから本を借りていた時代でしたから、この本は姉妹たちには貴重で特別に嬉しいものでした。
懐かしくて、関西の姉に電話をし、当時夏休みには神社の木陰を利用し、学校から借りてきた紙芝居などを、上級生が読み聞かせしてくれたことなどなど、一時昭和の子供時代の思い出話にひたりました。
もう一度グリムやアンデルセンなど、世界名作全集読み返してみたいですね。

親指姫から始まって、それからは庭に咲いたチューリップの花の中をそっと覗いてみたりしています。
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道端でつくしをみつけました。
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思い出話 | TB(0) | コメント(-)

1本のテープから 

押し入れの整理をしていたら、見覚えのない小さなテープ(直径約10cm)が出てきたという姉からの電話

姉の嫁ぎ先(京都の姑夫妻)へ宛てた私の父からのテープで1969年(昭和44年1月4日)となっているとのこと。

あのころの孫たちの様子でも撮ったビデオテープだろうか?

気になってDVDに焼いてくれる業者のところ持ちこんだそうです。
ところが、これはビデオテープではなく、音声テープでうちでは取り扱いができぬと断られたそうです。

「父の遺品だから 何とかして聞いてみたいわね」「貴方だれかこれをどうにかしてくれる業者さんをさがしてよ!」
と私のところに送られてきたテープです。


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どうしたものかと、時々お邪魔している「シニアネットのデジタルサロン」へ持っていってみますと」やはり年の功ですね~
シニアの方々の説明により このテープはオープンテープと言ってカセットテープが流行る以前のテープだと言うことが解り
CDにやける業者を知っているからとのこと たちどころに問題が解決することになりました。

出来上がった30分足らずの、時折雑音まじりのCDテープに静かに耳をかたむけました。

半世紀近く前の1月4日 姉夫婦が2歳半と生後半年の孫をつれ横浜へ里帰りした時の喜びの音声
まだ若々しいはつらつとした声の父、暮れの27日に療養中だった母の退院、元気になった母の音声、昨年亡くなった姉夫の笑い声などなど録音し、こちらの近況を伝えた当時としてはしゃれたテープレターでした。

胸をキューンとさせるテープ。
成長した姪っ子たちもきっと喜ぶはず、さっそくダビングして送ってあげよう。

横浜物語 

買い物がてらのぞいた本屋さんの一角の古本コーナー
料理本やら園芸本などなどあさっていると、その中に実家の古いアルバムにあったような懐かしい写真のつまった古本に目がとまり、手に入れて帰りました。
故郷について語ってくれる本 あのころの状況がぐぐっと浮かんできます。

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「聞き書き 横浜ものがたり」という本 「1945年から1965年代の横浜」

私は横浜生まれの浜っ子です。
父とダボハゼ釣りした山下公園界隈、メリケン波止場(大桟橋)、 カマボコ兵舎のこと、伊勢佐木町通り あこがれた美空ひばりさん、 市電、フライヤージム 若羽黒というおすもうさんetc.当時の思い出にひたれます。

貧しかったけれど横浜がいちばん生き生きとしていた時代に少女時代を過ごせたような気がします。

横浜は思えば異国情緒がありました。

窓を開ければ 港が見える~♪ メリケン波止場の灯が見える♪ 淡谷 のりこさんの歌を思い出しますね~  

港の出船入船もにぎわいがありました。
我が家のすぐ近くにはカマボコ兵舎が立ち並び長いこと接収されていましたから、よけいにそう感じられたのでしょう。

「されば~♪ 港の~♪ 数多かれど~♪
この横浜に~♪まさる~♪あらめや~ 昔~♪思へば~ とまやの~煙~♪」
これは横浜市歌の歌詞の一部です。

当時から現在に至るまで横浜市の学校の式典では必ずこの「横浜市歌」が歌われるのです。
横浜に住む孫と一緒に横浜市歌が歌えた時にはちょっと胸をはりたくなりましたね。


すでに実家はなくなりましたが、懐かしくて父母を思いだし熱いものを感じました。
姉にもこの本送ってあげたら喜ぶだろうな~
戦中戦後の横浜人には忘れられない思い出がつまっているずですから...

 

押し花と洞窟めぐり 

先日訪れた富士五湖方面ドライブの際 田貫湖畔で摘んだ草花たち
ドライブマップの間にはさみ、おしりの下にしいて持ち帰り出来上がった押し花です。
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赤まんま・犬蓼 (いぬたで)とイタドリぐらいしかわかりません。
押し花ハガキにしようと思ったら、アイロン用の和紙がいるらしい!
子供のころ夏休みの宿題にはこうして新聞にはさみ、押し花作りしましたっけ。

夏の名残を形にとどめ楽しんでいます。

それと富士の青木ケ原樹海内にある富岳風穴と鳴沢氷穴めぐりがとても興味深かったので 記しておきます。
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富士山麓一帯には風穴とか氷穴とか胎内等と呼ばれる洞窟が数え切れぬほど散在しているようです。
富士の噴火により出来たこの洞窟
洞底には水がたまって、冬に結氷したまま夏もとけることは少ないので、常に温度は平均三度ぐらい 天然の冷蔵庫いや冷凍庫のようでした。
富岳風穴入り口
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洞内は
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mayutama cyozouko

mayutama 1

驚いたことには このように繭玉の越冬や種子の貯蔵に使われていたとのこと

また昭和30年ごろから40年ごろまでは杉 ヒノキ 楢 赤松 カラマツなどの種子を全国から集め種子を長く維持するため山梨県林務部の保管場所となっていたそうです。

もう一つは富岳風穴の近くにある天然記念物に指定されてる鳴沢氷穴です。
内部は狭い通路 中腰状態で見学つるつるとすべります~
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氷穴内には氷の貯蔵庫があり、この氷は江戸時代には馬で江戸城まで運ばれ 殿様に献上されたとのことです。
ご苦労なことだったでしょうね。
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まさしく風穴や氷穴は文化の重要な役割をになっていたのですね。


Whitman'sのチョコレート 

Whitman'sのチョコレートの空き箱です。

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このチョコレートへの思い出話をしますね。

戦後の十分な食べ物に恵まれなかった時代、それこそ学校給食第一号、梅ちゃん先生の時代です。
甘いチョコレートを初めて食べたときは衝撃的でした。
横浜の街には占領軍のカマボコ兵舎が建ち並んでいましたから、アメリカの兵隊さんからチューインガムをもらったこともあります。
あるとき父がこのチョコレートをお土産に持ち帰ってくれたとき
そうそうこの箱の2倍ぐらいの大きな箱だったような......
丸いのやら、四角いのやら、アーモンドやピーナッツ入りのかわいいチコレート
姉妹で黄色い宝物のような箱に目を輝かせました。
毎日大切に少しづつ食べ、空箱の甘い残り香をかわるがわる嗅いでたのしんだ思い出。

数年前に横浜の某スーパーマーケットでこのチョコレート箱に再会 懐かしさで買って帰りました。
空き箱はやはりこうして....

夏に関西から見えた姉がこの箱をみつけ、チョコレート談義となりました。
「信さん覚えている?」
父さんが買ってきてくれたWhitman'sのチョコレート
「この空き箱 みんなでこうして匂いを嗅いだわね~」
だれも貧しいなんて思っていなかった、生き生きと輝いていた時代です。
父母につながる思い出話は弾丸のごとく続ききました。

そんな~時代も~あ~ったねと~
いつか~話せる~日も~くるわ~

あんな~時代も~あ~ったねと~
きっと~笑って~ 話せるわ~
プロフィール

信さん

Author:信さん
体型はズングリおばさん
でも以外と頑張り屋の信さんのブログ日記です
今までの日記はこちらです。
私のホームページ「信さんの部屋」です。

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